不動寺の案内

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不動寺の開山

 正徳元年(1711)、当時福井藩は、頻繁に起る天災、恐慌をきたしていました。

 福井勝見の大火190戸焼失(1700年)、凶作大飢饉(1669年)、大風・洪水(1699年)そして再び勝見の大火107戸焼失(1702年)などあまりの打ちつづく災害に藩家老が頭を悩ましたある日、夢のおつげで朝日のあたるところに「不動明王を安置せよ」とさとされ現在の地に設置されたのが不動寺のはじまりと伝えられてます。

 当山につたわる伝説に「此地に本然祖源と称する比丘尼あり、内田正之なる人に不動尊彫刻を依頼す。同人刻む場所を定めんとある日、早朝当山に参りし折、旭の岩壁にさんぜんと光るところあり、その輝きの内に不動の霊像紡佛と出現せり、当人直ちにその場所に写りしままの御影を彫刻せり」(不動明王縁記)とあり、また、「眼病に悩む一婦人あり、参七廿一日尊像に祈念したところ、白髪の老人あらわれ、頭をさすること参度、後すみやかに眼病癒治、之より目の神として崇め奉る」とあります。本尊不動明王は「身体堅固、善星皆来、悪星退散、当病平癒、火難、盗難、病難、一切の災難を退き家内安全、商売繁盛、息災延命、諸縁吉祥」(伝来の古書)とあり、多くの信者を集める天台宗派の古刹であります。

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澤庵和尚の達磨絵

 3代将軍、徳川家光に厚偶された臨済宗の僧澤庵和尚が書いたと伝えられる掛軸の達磨大師、全国津々浦々を旅したと伝えられる和尚が、直接当寺へ寄せたものか、それとも他から入手したものか、その経路は定かでありません。

澤庵(1573〜1645)

不動寺縁記(先代住職が記したもの)
不動寺縁記(先代住職が記したもの)